地上波AD、2017年の瀬。-テレビ番組編集奔走記-

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体調が悪くて午前中を無駄にしてしまった。

休息は大事なことですよね。

そんな言葉を自分に言い聞かせ、きょうも生きています。

2018年の年の瀬。

 

2017年の年の瀬はAD地獄。

 

 

完全に地獄だった。

2017年の今頃はADとして奔走していた。

 

当時担当していたのCSの番組。

もともとは12月28日で仕事納めだったはずなのに、

その番組が突然地上波で放送されることとなった。

 

そのオンエアが12月30日

私はその日まで仕事をすることが決定した。

 

 

地上波のための編集。CMやQカット、番宣映像。

 

  

CSのチャンネルにはCMがない。

いつもは放送枠いっぱいの尺で番組を編集していたディレクター。

地上波となると、そこにCM枠がもちろん入ってくるため、

それに合わせて尺を計算し、編集をしなければならない。

 

そのCMの回数や時間もテレビ局の編成部によって決められ、

その確定版が降りてくるまで、憶測で編集をするしかない。

やっと降りてきたと思ったら、予想と違っていたとなんてなるとまた編集をし直す。

 

しかもCMが入るということは、Qカットも入れる必要がある。

 

視聴者の方は当たり前のように思えるかもしれないが、

CMに入る前にスポンサーの提供画面が流れるあの時間。

それがQカット。

 

TBSの『オールスター感謝祭』なんかを例に挙げると、

陽気な音楽を流し、カメラが出演者に近づいて、CMに行く。

あの感じ。

 

地上波の録画番組なので、

それ用にまた新しく映像をつなげなければならない。

 

更には、番組開始前の宣伝映像

『このあとすぐ!』みたいなあれ。

あれも地上波なのでCMの合間に入れなくてはならない。

そのための編集も必要。

 

 

プロデューサーのコンプラチェック。

 

 

編集もただディレクターの思った通りに編集すれば良いわけではない。

コンプライアンスの騒がしい昨今のテレビ業界。

バラエティ番組にももちろんプロデューサーのチェックが入る。

 

そのプロデューサーも、1つの番組に一人というわけではない。

地上波ゴールデンのスペシャル番組となると、何人いるんだろうと思う。

ちなみに私の番組はCS放送の30分番組で、チーフを含めて4人だった。

 

彼らに編集したVTRを送り、チェックを受ける。

私の番組はデータ上でやり取りすることが多かったが、

もちろん送ればすぐにレスポンスが返ってくるわけでもない。

 

『レスポンス来ないし、大丈夫だろ』

なんて考えていたら直前でダメ出しを食らうこともある。

 

 

いわゆる『編集』と『オフライン』と『MA』。

 

 

編集もディレクターの編集が終わったら終わりではない。

ディレクターに編集はあくまで『映像をつなぐ』だけ。

それが終わったら、『編集所』にデータを持って行って、

業界で言ういわゆる『編集』が始まる。

 

ディレクターが繋いだ映像を最終的に仕上げる作業のことだ。

映像の色の調整をしたり、テロップを入れたりする作業はここで行われる。

テレビ局に最終的に納品するには、データではなくテープで持ち込む必要があるが、

それを行うことができるのもこの『編集所』。

 

ちなみに、ディレクターが画をつなぐ編集のことは、

業界では『オフライン』と呼ばれる。

 

編集が終わったら、次は『MA』

音の調整をする作業のこと。

 

ナレーションをつけるときなんかには、

ナレーターさんにここで原稿を読んでもらう。

 

番組内で流れる音楽や、効果音の最終的なチェックもここで行なわれる。

 

 

寝れない年の瀬。そして納品へ。

 

 

そんなこんなの工程があるから、

私は地上波版の放送が決まった時には絶望した。

あ、これは12月30日まで眠れない日々が続くだろう、と。

 

編集もMAも、所要時間はかなり必要になる。

いつもは30分番組×2、尺は1時間だったが、

編集所にいる時間は24時間を超える。

 

その間、ADは基本的には編集所を離れられない。

 

MAも同じように24時間はかかる。

今考えると、本当に長い時間だったなと思う。

 

当時の労働時間を思い出してみると、

1日で『34時間』なんてのはザラにあった。

今考えてみるとゾッとする。

 

これで終わりではない。

突然地上波版のオンエアが決まったということで、

そもそもが編集所の確保をしなければならない。

 

年末と言えばテレビ局が最も気合いを入れる時期。

 

確保するのも一苦労で、やっと空きを見つけたとおもったら、

どんな時間だろうがその時間にねじこむ。

 

確保できるまでは気が気じゃない。

 

『無事に納品できるかな 』という心労が、AD時代に絶えることはなかった。

 

全てをなんとか終えたときには12月30日の13時とかだっただろうか。

もはや眠気などもなくなり、完全に無気力の状態だったと思う。

 

そのあと何をしただろうか。

今は何も思い出すことができない。